やまんばと

2018年6月からスイス・ジュネーブ在住。ヨーロッパの田舎、日本の地方をキーワードに発信。

住民150人の「最も美しい村」たち

この週末は、シャトーシャロン(Chateau Chalon)とボーム・レ・メッシュー(Baume-les-Messieurs)という村を訪れた。フランス南東部のジュラ(Jura)地方にある、最も美しい村である。ジュラ地方は、スイスとの国境付近に広がり、ワイン生産でもよく知られる。スイスから行くと、ジュラ山脈を越えて行くのが一番早いのだが、ヘアピンカーブの連続でなかなか大変だった。まずは、村の紹介から。

シャトーシャロン

ブドウ畑の上にそびえたつ崖の上にある村だ。ここは、ジュラのワインの産地として有名な場所らしい。ジュラ・ワインとして良く知られるのが、黄色のワイン。白ワインなのに6年間も樽で空気に触れさせながら熟成させることでこの色になるらしい。ブドウもサヴァニャン(savagnin)という固有種を使っており、ユニークな風味がある。シャトーシャロンAOC(基準を満たしたトップ・ワインにのみ与えられる呼称)はこのサヴァニャンの黄ワインにのみ認められているのだ。

自ずから、村の観光資源もワイン。ワイナリーがいくつか開いていて、ふらっと立ち寄って試飲させてもらい、気に入ったワインを何本か購入。この気軽さはアルザスを彷彿させる。黄色ワインは個人的にはアルコールの風味が強く苦手だったので、Vin de Pailleというデザートワインを購入した。ブドウをわらの上で乾燥させて作るワインで、これもジュラで有名らしい。

 

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村の様子とワイン試飲。右から三番目の横に太いボトルがジュラに特徴的なもの。
ボーム・レ・メッシュー

シャトーシャロンから車を走らせること10分弱。村の看板と共に目に飛び込むのが、高さ200メートルのそびえ立つ岩壁だ。そこからもう少し先に行くと、集落に辿り着く。崖の上のシャトーシャロンから、一気に下に降りてきた感覚に陥る。村自体はこれまで訪れた最も美しい村の中で一番小さく、開いているお店はレストランが2軒。あとは、中世からの修道院があり、村の一番高いところに立っている。

個人的に、一番良かったのは、集落があるところから車で5分ほどの場所にある滝。ジブリの世界観にはまる空間だった。緑の間を小さな滝がいくつもに分かれて落ちていく様子はとても神秘的で、癒された。

 

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村の様子と小さな滝
あともう一歩の「最も美しい村」

ワインも楽しめて、自然にも癒されて、楽しい日帰り旅行だった。しかし、これまで行った最も美しい村たちと比べると、正直これが本当に美しい村なのかと思ってしまったのも事実である。そう感じた理由を考えてみた。

村の活気のなさ

天気に恵まれなかったのもあるのかもしれないが、異様に静かだった。外を歩いているのは、決して多くない観光客のみ。聞こえてくるのがフランス語ばかりだったので、恐らくフランス人、かつ、年齢層も高め。地元の人もたまに見かけたが、あまりに人がいないので、ダーツの旅の第一村人発見の感覚である。開いているお店も、シャトーシャロンはワイナリーとレストランがそれぞれ数軒、バームはレストラン2件。何となく、さびれているという印象を受けてしまった。

少し残念な景観

もちろん、写真で見るときの綺麗さはあり、部分ごとに見る景色は綺麗だった。しかし、歩いていて心が弾む景色ではなかった。こう感じたのは、たぶん車道のせいだ。日本でも多いが、車道を中心に建物が並んでいて、これまでの村々でできていた石畳の上を歩いて建物との一体感を楽しむというのができなかった。コンクリの道の上を歩いていると車がビュンビュン通り、路駐も多い。なんだかな、と思ってしまった。空間の一体感の大切さがよく分かった。実際、イタリアから始まったスローシティ運動では、加盟自治体では車両の進入を禁止したりしている。 

There's no silver bullet

最も美しい村それ自体は、地域活性化の特効薬にはならない。改めてこれを実感することになった。前回の記事で紹介した3つの美しい村では、人口が1,000人以上で増加傾向にあるのに対し、今回訪れた2つの村は人口規模が150前後と小さい上に減少傾向にある。活性化の指標は住民の数だけではないが、人口が減っていることは地域経済がうまくいっているどうかの一つの目安にはなるだろう。

村の規模の大小が、村の活気や景観を維持する上での資本に影響を与える部分はあると思うが、比較したときに、この村々がハンデを負っている一つの要素として、アクセスの悪さはあると思う。大きな観光拠点からのアクセスが悪いのである。フランスの拠点になりそうな、リヨンは車で約2時間、ディジョンは1時間強。公共交通機関で行く方法はなく、車が必ず必要。スイスからだと更に日本でいうところの下道しかなく、ほとんどが山道だ。相当ジュラワインが好きか、モノ好きでないと観光客はなかなか行こうと思わない場所なのだと思う。

ついでで行くくらいの観光資源しかない村に、ついででの行きやすさがない場合、この最も美しい村というラベルによる観光客増加効果はあまり期待できないのではないだろうか。もちろんシャトーシャロンの場合は、ワインという観光以外の地域経済の基盤があるので、それで構わないということなのかもしれない。ボーム・レ・メッシューの方は、観光が主な産業とのことだったので、少し心もとないと思ってしまった。もちろん一つの手段として、美しい村連合に加盟するということはあり得ると思うが、アクセスの悪さを上回るだけの観光資源がないと厳しいと感じた。

同時に、こんな小さな自治体にまで浸透している、最も美しい村の取組からは学べることがあるだろう。

「フランスの最も美しい村」に魅せられて

これまで訪れた「最も美しい村」は4つーレマン湖沿いのイヴォワール(Yvoire)、リヨン近くのペルージュ(Pérouges)、アルザスのリクヴィル(Riquewihr)とエギスハイム(Eguisheim)である。

面白いのが、どの村もキャラが立っていること。

まず、レマン湖を望む、花の町イヴォワールジュネーブからは車で30分ちょっとでスイスにかなり近い。人口は1,000人未満で、町自体もとても小さく、15分も歩けば町をぐるっと周ることができる。この街の良かったところは、綺麗さもさることながら、レストランが充実していること。ミシュランプレートのレストランがこんな小さな町に3軒もある。

それから、中世に迷い込んでしまう町、ペルージュ。こちらはフランス第二の都市、リヨンから車で40分ほどの距離。人口は約1200人で、中世の城壁と石畳が綺麗な町だ。映画三銃士の撮影も行われたらしい。ここにあるAirbnbに宿泊したが、家主は町の外から引っ越してきて空き家を買ってリノベーションをしたとのこと。思わず住んでしまいたくなるのも納得の雰囲気のある町だった。

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イヴォワールで食べたランチ、一人25ユーロ。右は、ペルージュで宿泊したAirbnb

最後に、おいしいアルザス・ワインが飲みたくて訪れたリクヴィルとエギスハイムは、ワインのおいしさはどちらもあるのだが、ドイツらしい木組みの素敵な建築物がたくさんあるリクヴィルと、花が綺麗なエギスハイムとで、近接している村なのに雰囲気が異なる。エギスハイムは、花のナショナルグランプリで最優秀の成績をおさめ続けているらしい。

全くの余談だが、フランスでワイナリー巡りをする場合、個人的にはアルザスは入門編としてかなりおすすめ。普通にはとても手が届かない5大シャトーの存在感が大きすぎるボルドーや、最低価格が高いブルゴーニュと比べて、アルザスでは、試飲にお金を取らず、家族経営のワイナリーでアットホームな雰囲気でハードルが低い。更に、試飲後買うとなった時に1本10ユーロも出せばおいしい白ワインを手に入れることができるのである。

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町の景色を取り忘れたので、ワイン試飲の様子(左)とアルザス風ポトフ(右)

この「フランスの最も美しい村(Les Plus Beaux Villages de France)」、なんと158もある(2019年9月時点)。たかだか4つ訪れただけで、語る資格もないのだが、地域おこしの取組として、ここで簡単に紹介したい。

1982年に、質の良い遺産を多く持つ田舎の小さな村の観光促進を目的に作られた、村の連合。資格はく奪もある、厳格な審査が行われているらしい。各村が人口一人当たり3ユーロの会費を払うことで運営されている。村の選定に当たっての基準は以下のとおり(出展:Wikipedia)。

1. 人口が2000人を超えないこと

2. 最低2つの遺産・遺跡(景観、芸術、科学、歴史の面で)があり土地利用計画で保護のための政策が行われていること

3. 地域議会の投票により地域コミュニティの同意が得られていること

この取組は世界各国にも広がり、べルギー、イタリア、カナダ等でも類似の連合がある。更に、日本でも北海道美瑛町町長の呼びかけで2006年から「日本で最も美しい村連合」があるとのこと。

私自身は、正直上述の4つの村を目的に観光したわけではなかった。ついでに立ち寄れるから、ということである。ただ、「最も美しい村」というラベルは、ついで、を決める上で大きな判断材料になった。いわば、観光地のミシュランガイドの役割を果たしているのである。せっかく車で旅行していて休憩するなら、無機質なサービスエリアよりは、少し遠回りしても風情のある町を訪れたいと思うものだ。私のような外国人でさえこれを参照するのだから、観光促進という目的に資するものではあるのだろうと思う。最も美しい村の協会は、連合に入ることで、10-50%の観光客増加が見込まれるとしている。

ただ、本当に観光促進ができているのかどうかはなかなか判断が難しい。私が行った村々は、観光資源の豊かな場所からアクセスが良いという立地に恵まれた場所であるという点で偏りはあるからだ。

ちなみに、日本の取組の基準は以下のとおり(出典:連合のHP)。

1|人口が概ね1万人以下であること

2|地域資源が2つ以上あること
・景観-生活の営みにより作られた景観(伝統的なまちなみや里山・里海)
・文化-昔ながらの祭りや芸能、郷土文化など

3|連合が評価する地域資源を活かす活動があること
・美しい景観に配慮したまちづくりを行っている
・住民による工夫した地域活動を行っている
・地域特有の工芸品や生活様式を頑なに守っている

フランス版との違いとてしては、人口規模の大きさと地域の合意が基準となっていないことだろうか。日本では2018年1現在で63か所で、日本の人口が単純にフランスの二倍近くあることを考えると、まだまだ伸びる余地はあるように思うし、HPも日本語のみで、外国人旅行客のミシュランにはなるには色々な改善ができそうである。

これからも美しい村は訪れていこうと思うので、続報に乞うご期待!

ピレネー山脈の向こうはアフリカだった

かのナポレオンが言ったとされる言葉である。

ピレネー山脈は、フランスとスペインの国境に連なる山々で、古くはイスラムへの防波堤として機能してきた。イスラム文化との融合が見られ、その異国情緒さがアフリカという表現につながったという。4,000メートル級が当たり前のアルプスとは違って、高い山の多い中央部でも2-3,000メートル級と日本人的にはなじみのある山景色が見られる。

恐らく、日本からヨーロッパ旅行をしてあえてピレネー山脈に行こうと思う人はそんなにいない。スイスに住み始めてからの山好きが高じて、今年の夏はピレネーに!と思ったのだが、ウェブ上でもガイドブックでも日本語での情報が少ない。車で行くとなると皆無。事前の情報があまりないまま、山に近そうな小さな町に宿をとり、そこで情報収集することにした。行った場所は2つ。

一つ目がアルトゥースト(Artouste)。標高2000メートルの崖の上を走るプチトレインが有名な場所だ。まずは、麓からケーブルでプチトレインの発車駅がある標高約2,000メートルの地点に上る。その後、絶景を見ながら50分かけて湖近くの駅まで行き、ハイキングという行程だ。ケーブルカーとプチトレインがセットで往復大人30ユーロ以下とヨーロッパ価格基準からするとかなりお得。

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プチトレイン(左)と電車近くに寄ってくる人懐っこいマーモット(右)

もう一つが、ガヴァルニー圏谷(Cirque de Gavarnie)。写真を見ると滝の流れ落ちる大きな岩壁なのだが、「圏谷」とは、2万年以上前にあった氷河の浸食でできた地形を言うらしい。上部の幅は約3キロに及び、岩壁の高さは1.5キロもある。暖かい季節には雪解け水が作る滝が流れ、ヨーロッパで2番目に大きなガヴァルニ―滝もある。

ガヴァルニー村から滝がよく見えるホテル兼レストランまでは1時間あれば十分で、圏谷までは割と平坦な町で比較的歩きやすかった。しかし、滝を前にして下から眺めるだけでは満足できないのが人間の性である。レストランから何の舗装もない道を歩き、滝の近くまで滑る石に何度も足を取られながら慎重に登ること30分ほど。滝を間近に見ることができ、相当の迫力あり。

その後我々は何を思ったのか、平坦な道を戻るだけではつまらないと、”plateau de Bellevue”、日本語に訳せば絶景の高原を通る道をたどった。これが相当しんどく、細くて標高差がかなりある道をひたすら上る。上った先は確かに絶景ではあった。行きに通った道を眼下に見下ろし、遠くに圏谷、放牧された牛がならすカウベルの音も聞こえて風情がある。しかし、滝に近づこうとした道なき道の後のトレイルとしては相当しんどい。次の日の筋肉痛はつらかった。

 

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圏谷までの道(左)、ガヴァルニ―の滝(中央)、高原に行く道(右)

ピレネー山脈付近に2泊3日し、自然を大満喫した私としては、このピレネーハイキングは是非お勧めしたい。しかし、最初に触れた通り、日本人の中での人気はそこまで高くないようである。実際、スイスであればあちこちで聞こえる日本語も、ピレネーではほぼゼロ、アジア人自体がそもそも見られなかった。だが、スイスのユングフラウヨッホやマッターホルンと比べると、仕方ないと思ってしまうものがある。

まずは、ハイキングのインフラの違い。登山鉄道と整備された道…スイスにあってピレネーに十分なかったものである。スイスは物価が高いこともあるせいか、日本人観光客は高齢の方が多い印象を受けるが、高齢の方でもスイスを満喫できるのはやはりこうしたインフラあってこそと思う。例えば、マッターホルンであれば、麓の町からてっぺんまで登山鉄道で登って、途中の麓まで下ることができる。ピレネーは、ガヴァルニ―の麓までも電車はないので、バスか車。そこからは徒歩になるが、圏谷に近づけば近づくほど道が自然の道になってくる。個人的には、こうした手つかずの感じが好きではあるが、転びそうになってヒヤッとする瞬間もあった。

それから、おいしいレストラン。お昼はそれぞれプチトレインの終着駅にあるカフェとガヴァルニ―圏谷の近くの唯一のホテルレストランで食べたのだが、オプションがとても限られていた。スイスだと、ツェルマットやグリンデルワルト等、ホテルがあり、スイスの名物を食べられるレストランが並ぶ町がある。しかし、ガヴァルニーもアルトゥーストも、おいしくはあったものの、パニーニやサンドイッチ、バーガー等、メニューはありふれたもので、いまいちそそられず、全体的に惜しかった。

何となく、日本のトレッキング経験に近いのはピレネーなのだと思う。そして、どっちが良いかは完全に好みの問題だと思うが、観光客にいかにお金を落としてもらうかという観点から見ると、スイスの方がうまくできている、ということだろう。

単純に自分の旅程でそれぞれ使ったお金を比較してみると、スイスのユングフラウヨッホでは3万円、今回のガヴァルニ―であれば3千円である。宿泊の有無と、鉄道の利用の有無が効いてきている。それに、スイスの方が子供から高齢者までより幅広い層を受け入れることができる。

もちろん、スイスのように儲ける仕組みづくりは一朝一夕ではできない。しかし、自然が美しいピレネー山脈だったからこそ、個人的にはもっと頑張れ!とエールを送りたい。

 

グルメな町、サン・セバスチャン

食べることが大好きな私にとって、スペインの北東部、フランス国境近くにあるこの街はまさに天国だった。とにかく、おいしいのである。楽しみ方は色々。ミシュラン3つ星レストランで、趣向をこらした料理たちにゆっくり舌鼓を打つも良し、バルをはしごしながら、各バルの名物料理を食べ歩くも良し。私は、また来ることはなかなかできないだろうと思い、このどっちにもトライした。

個人的にヒットした料理をまずは写真と共に紹介したい。

【バル編】 

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左から順に、ホタテのクリームがけ、フォアグラ、牛ほほ肉の赤ワイン煮込み、ウニのグラタン。全て一皿3-7ユーロ。一晩で5軒はしごした。

ミシュラン編】

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AkelareとMartín Berasategu。海の幸メインのコースは最高に美味。

海の幸、山の幸の素材の味を存分に生かし、あっさり目に仕上げた料理が比較的多いのが、日本人の口に合うと思う理由である。私は、あっさりとされているヌーベル・キュイジーヌ(nouvelle cuisine)のフレンチですら、ファスティングして臨んでもフルコース後は苦しくて辛いのだが、今回はそれもなかった。また、バルに関して言えば、立ち飲みで色んなお店をはしごする感じが新橋や銀座にある立ち飲み居酒屋を彷彿させる。おしゃれできれいなお店、というよりは、人の活気に満ちた賑やかで少しカオスな雰囲気ある。

町全体がグルメ

このサン・セバスチャンがグルメの町として国際的に名高いのは、星付きレストランの数のみならず、バルの質の高さにもある。人口20万人に満たない街に、ミシュラン3つ星を含む星付きレストランが11件と、人口一人当たりの星付きレストランが最も多い都市の一つに数えられているが、この質の高さが町全体の食のレベルの引上げにもつながっているというのだから面白い。フランス郊外のミシュラン3つ星レストランに行く機会もあったが、そのレストランだけが浮いている感じで、町全体の活気につながっている印象は受けなかったので、これは当然に起こることではないのだと思う。

サン・セバスチャンがグルメの町としてなぜ成功したのか。『ルポ 地域再生』(志子田徹、2018)を参照しつつ、色々な条件がそろってできたものだということがよく分かったので、以下にまとめたい。

料理を豊かにする地理的・歴史的背景

新鮮な海の幸と山の幸が手に入るという地の利はもちろん、フランス国境から20kmに位置するサン・セバスチャンは、歴史的にフランス料理の影響を多いに受けてきた。古くは、ルイ14世スペイン王女マリ・テレーズの結婚式の場として、18世紀以降はスペイン王室の避暑地として使われていた。サン・セバスチャンをグルメの町に押し上げるきっかけとなった、1970年代のバスク地方のシェフたちの料理研究 においても、当時フレンチの新潮流であったヌーベル・キュイジーヌのシェフたちの交流を得ていたと言う。

サン・セバスチャンの後は南下してマドリッドバレンシアバルセロナを訪れたのだが、元々は農民が農作業の合間に食べる食事として始まったパエリヤを含め、シンプルな料理が中心で、サン・セバスチャンがフランス料理の影響を受けて発展したスペインでも特異な場所だということがよく分かった。

 バスク愛を育んだ独自性と弾圧の歴史

1939年から75年まで続いたフランコ政権の独裁体制は、地域の独自性を排する中央集権化の一環で、バスク文化への弾圧を強めていた。これに対する運動の一つが、バスク料理であったようである。海外のレストランで修業を積んでいた、サンセバスチャン出身のルイス・イリサールらを中心に、通常秘伝として隠しておくレシピを互いに教え合うことで、全体のレストランのレベルを高める取組が進められた。バスクを取り巻く社会的条件がこのような取組を可能にしたとも言える。

ちなみに、弾圧に対して、武力闘争を選んだ者もいた。ETAバスク祖国と自由)と呼ばれる組織である。このETA自体は、フランコ政権亡き後も、テロ活動を続け次第に求心力を失っていったが、武装解除は2017年と最近のことである。

 行政との連携によるブランディング

食が一大産業の欧州諸国を見ていると、ブランディングの重要性を学ばされる。ワインの格付け、食品の厳しい原産地等の規則等である。サン・セバスチャンの料理専門の4年制大学も、その取り組みと言えるだろう。バスクの三つ星シェフら七人が呼びかけ人となり、「バスク・クリナリー・センター」が2011年に設立され、モンドラゴン大学に編入された。この出資を自治体が行っている。ガストロノミーと栄養の高等教育、研究、イノベーションと促進を目指すとのことで、修士課程まで用意されているようであり、世界中から学生が集まっている。

終わりの備忘録

食を町おこしに、とよく言われるが、サン・セバスチャンの例を見ると、簡単にまねすることができない複合的な要因が重なってできたものだということがよく分かる。ただ、食材の豊かさや地域愛は日本の地方でも眠った宝となっている場所はあるだろうし、Washokuが世界的に定着してきている中で、東京や京都以外でも食が産業になる地域がもっと増える余地はあるのではないだろうか。

スペインのトマト祭りに参加してみた

8月29日、ラ・トマティーナ(La Tomatina)と呼ばれる、スペインのバレンシア州にある小さな町ブニョールで開催される、年一回のお祭りに参加した。日本のバラエティ番組でも度々取り上げられる、あのトマトを投げ合う祭りである。聞いていたとおり、本当にクレイジー。そして、最高に楽しかった。

祭りが始まってから終わるまで

まずは、この祭りがどのようなものだったかのご紹介。

会場外にはフード・ドリンクの売り場があり、景気づけに連れと一杯。

開始時間の1時間ほど前に会場となる通りに入ると、のんびりできたのもつかの間。住民が住居の上からバケツやホースで水をかけてくる。更に、通りにも給水所とバケツ、水鉄砲があり、横からの不意打ちもたくさん。目的の役所前に来る頃には全身この水でびっしょり。気温も高くなく、じっとしていると寒い。

この役所前の広場では、トマティーナ開始前まで、石鹸で塗られた棒を登っててっぺんにある生ハムを取るというイベントが繰り広げられていた。一人だけではあまりにも滑りやすいので恐らく登り切れないようになっていて、いかに協力するかが鍵のように見えた。うまく他の人が支えになって取れそうになっては、誰かが引きずりおろして崩壊、、のサイクルを何度も見て、国際協力の難しさを学ぶ。

そして、開始時間の11時!

ホイッスルの合図と共に、トマトを大量に積んだトラックが入ってくる。トラックがギリギリ通れる通りなので、スタッフの人達が道の真ん中にいる参加者を轢かれないように端に押しまくる。

「トマトはつぶしてから投げる」のお祭りルールは、トラックの上から降ってくる(スタッフが投げてくる)トマトには適用されないらしく、かなり痛かった。トラックが通り過ぎると、トマトの投げ合い戦争。誰かれ構わず、トマトをつぶして投げまくる。このトマトを積んだトラックが何と6台!

目を守るためにつけていたゴーグルも段々と曇ってきて、最後は本当に何も見えないまま、ひたすらトマトを投げまくり、約1時間。

終了後、道はトマトジュースの川と化し、歩く参加者はトマトまみれ。住民が上から水をかけてくれたりして、何とか有料のシャワー所は使わずに体を綺麗にしてバスに戻ることができた。何かをやり切った、程よい疲労感と共に、ブニョールを町を後にした。

トマト祭り地域活性化

祭りの起源

このトマティーナ、1945年以来毎年続けられているが、起源は諸説あるらしく、以下Wikipediaから引用。

起源については、野菜売りのスタンド前での喧嘩でトマトを投げ合った、住人同士での階級闘争、パレードでトマトが一斉に投げられた、町政に不満を持つ住人が、町の祝賀会で町の議員に向けてトマトを投げつけた、戦争が終わってこんなに真っ赤になっても死なないぞというメッセージなどがある。

 一よそ者参加者としては、大変楽しめるお祭りだったが、地域活性化の観点から見ると、このお祭りはどのように評価できるだろうか。

唯一無二の参加型フェスティバルで世界から参加者を獲得

参加者は毎年22,000人程度で、このうち17,000人が参加費12ユーロを払って参加するブニョール外からの参加者である。残りの5,000人分は無料で地域住民の枠として残されている。ブニョール市の人口は約9,500人なので、市の人口の倍の数の人が市外から訪れていることになる。正確な国籍の内訳は分からないが、インド人、日本人、英国人がパッと見た感じ多い印象を受けた。

世界最大のフードファイト、La Tomatina。英語での情報を見るとよくこのように形容されている。これに、地域住民であるかどうかに関わらず皆平等に参加できて盛り上げることができるというのが、世界から多くの参加者を集めている理由なのだと思う。

海外の参加者からすると、スペインの主要農産品であるトマトに地域の独自性を見出せることはさることながら、それを知らない人たちと投げ合うというのはなかなか世界を見渡してもできない経験である。フードファイトと言う意味では、イタリアにもオレンジ祭りなるものがあるようだが、地域住民があくまでも主体で、衣装代も別途必要等、トマティーナ以上に海外から旅行者として参加するハードルは高そうだった。

 La Tomatinaによる市の歳入増加と国際的な知名度向上

かつては参加無料だったというトマティーナも、参加者の増加を受け、安全確保と収支改善のために、2013年から参加人数を制限し、チケット制が導入された。

投げられるトマトは145トンという途方もない量だが、Extremaduraという地域から売り物にならないトマティーナ専用のトマトを安価で買い取っているとのこと。警備や清掃にかかる費用はあるものの、トマトは普通の食用トマトでもキロ当たり1ユーロもしないことを考えると、参加費は市の財政の足しにはなりそうである。

また、トマト祭りの町として、バレンシア郊外の小さな町が国際的なスポットライトを浴びることにもなった。例えば、今年のトマティーナの模様は、英国の主要紙(Guardian, Independent)やハフィントンポスト、Euro Newsに取り上げられている。ちなみに、ブニョールで唯一観光名所でヒットするのは、ムーア人がかつて12世紀に建てた城くらいであり、これも周りを見渡せば別に珍しくはない。バレンシア郊外の農業が中心の小さな町は、この祭りがなければ、海外からあれだけの観光客が訪れることはなかっただろう。

 祭りの地域活性化への効果は限定的?

トマト祭りをいかに地域としての収入につなげていくか、という観点から見ると、トマト祭りはあくまでトマト祭りで完結していた感が否めない。トマト祭りの日のみの観光客を想定した体制だった。

本来、トマト祭り前後で宿泊してホテルでシャワーをゆっくり浴びて、その日の夜はブニョール市でご飯を食べて土産を買って少し観光、というような旅程も可能なはずである。しかし、多くの参加者は、当日朝早くにツアーバス又は電車でブニョール市に到着し、その日の午後には足早にバスに戻り、バレンシアマドリッド等次の観光目的地へと移動する旅程となっているようだった。

旅行者がお金を使うはずの、ホテル、レストラン、土産物屋はほとんどない。レストランは、トマトで汚されたくないという現実的な理由で閉めていたというのもあると思うが、地元の人がパエリヤや飲み物を家の前で売っていたりしているのが主だった。オリーブや果物類が特産品のようだが、例えばそれらを見れるようなお店もなかった。

そもそも、ブニョール市の主要産業は農業工業と別にあり、活性化のニーズがないというだけなのかもしれない。しかし、せっかくトマト祭りで得た収入や知名度を生かして、トマト祭り以外でも外から人をひきつけたり、あるいはトマト祭りで訪れた人にもっとお金を落としてもらう仕組み(ファームステイや特産品販売コーナーの設置等)は工夫ができるのかもしれない。

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上から降ってくるトマトとトマトジュースの川


 

スイスの小さな村のスノーシューと地元の名産めぐり

2月になるが、スイス東部のChâteau-d'Œx(シャトーデ)という町のスノーシューのイベント、” Rallye du Goût”(味めぐり)に参加した。40フラン(約4,500円)で、約2時間のスノーシューでのハイキングと共に、地元生産者が立てる地元産品のスタンドをスタンプラリーように回って味わえるというイベントだ。とても楽しく素敵なイベントだったので紹介したい。

 

スイスの山里に人がたくさん集まったワケ

シャトーデは、人口約3千人の山里で、牧畜が盛ん。スイスの標高1000-1400メートル地帯で生産する、伝統のL’Etivazチーズの産地でもある。とはいえ、観光資源がそこまでなく、あえて行こうと思わない場所だ。日本から観光で訪れたときに行く、ツェルマットやユングフラウヨッホのような認知度の高い場所からは電車で3時間弱。寄り道に行くほどアクセスは良くない。私も今回このイベントを友人から聞くまでは全く知らなかった。

しかし、イベントに当日行ってみると大盛況。連れと誰もいなかったらどうしよう等と心配もしていたのだが、家族連れから友人同士、カップル、老夫婦まで、幅広い世代、構成の人が集まっていた。フランス語圏だが、英語もちらほら聞こえ、地元の内輪イベントでないことも分かった。

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生産者が出すチーズのブース(左)と地元ワイン(右)

魅力①地域を知る

当日は、12の生産者が、スノーシューでのハイキングコースに点々とスタンドを立て、彼らの生産したものが振舞われた。以下はその概要。見てのとおり、その土地で色んな種類の特産品があるわけではないので、ほとんどチーズ、たまに加工肉というすさまじい偏り。しかし、家族経営が中心のチーズはそれぞれ特色があり、どれも個性があって大変楽しめた。

生産者によるが、こだわりを英語でも説明してくれ、スーパーで買うチーズと違う顔が見えた。更に、スノーシューが終わった後に大きなホールでスープが振舞われたのだが、そこで地元のおじいちゃんおばあちゃんが演奏をしてくれていたのも、アットホームな感じがとても良かった。短時間だが、観光地では見れないスイスに触れられたのである。

  • L’Etivasチーズ3生産者(特定の製法に基づいて作られるチーズに与えられるAOPでL'Etivasに特化した生産者、有機牛乳にこだわる生産者、新しいチーズも製造始めた生産者等こだわりは様々)
  • 羊チーズ(Agroprixという賞?を2013年に受賞)
  • Tomme Fleurette(ソフトチーズ部門でスイスチーズ賞を受賞。私の一番のお気に入りでした)
  • ハードチーズに特化した生産者
  • Gruyère(グリュイエール)チーズ(閉鎖間近のチーズ工場を引き取った若手生産者によるチーズ。フォンデュに使われるチーズで有名)
  • 加工肉2生産者(サラミ、ハム、ソーセージ等。)
  • アルプス・ハーブ2生産者(シロップとお茶がそれぞれ一つ。シロップをお湯で割ってお茶のようにして飲む。寒いからだに良くしみた)
  • ハーブアロマ(これを足したチョコがあった)
  • ワイン(ちょうどコースの真ん中あたりで、白赤ワインどちらも振舞われた)

 魅力②楽しさ要素

おいしいだけで十分だが、何と言ってもこれをスノーシューと組み合わせるというのが良かった。スノーシュー雪駄を進化させたようなもので、多少雪深くてもこれを履けば滑らずスイスイ歩ける。集合場所に行ってチェックインをした後、スノーシューのサイズを合わせてくれて、簡単に出発の準備は整った。

更に、これを夜暗くなる時間帯にやるというのが、エンタメ性を更に高めていた。私たちは16時半という一番早い時間帯に行ったので、最初は明るかったのだが、後半暗くなると、ハイキングコース沿いに道しるべとして立てられたろうそくが道を照らしてとても幻想的になった。

魅力③破格の値段!

スイスはとにかく物価が高い。例えば、スノーシューを一日レンタルするだけで安くても50フランするし、チーズのプレートを頼めば15フランはする。それがレンタル込み、地元産品の食べ歩き+〆のスープとデザートで40フランなのである。

これが実現できているのは、最初は日本と同じで補助金かとも思ったが、企業のスポンサーを上手く得ているのも助けになっているようだった。気になって調べてみると、TSLというスノーシューのメーカーが協賛に名を連ねていた。スノーシュー代が浮くだけでもだいぶ違うだろう。企業からしてみても良いPRの場となるはずだ。

 

観光資源がなくても、外の資源(win-winを築ける企業、観光客)を動員して、地元をPRする、とても良い例ではないかと思う。

ファームステイ@ポルトガルワイン農家

GWを利用して、ポーランドポルトと、ワインの生産で知られるDuoro川沿いの都市、Lamegoにあるワイン農家を訪れた。

日本だとポルトガルワインのイメージはあまりないかもしれないが、酒精強化ワインのポートワインと言うとしっくりくるのではないだろうか。食前後に飲む、甘くて度数の高いワインである。

私たちが今回滞在したQuinta do Fôjoは、予約サイト上で高レビュー(Booking.comの口コミ183件で評価9.7/10。2019/6/16時点)であったことが、今回滞在を決めた理由の一つになった。

Quintaは、ポルトガル語で農園。今回滞在した場所以外にも、同様にファームステイとして自宅を開放している場所がいくつかあるようだったが、なぜこの農園はこんなにも高評価を得ていたのだろうか。

 

エリザベートおばちゃんのホスピタリティ

これが一番大きいと思う。ホストのエリザベートがとにかく明るくパワフルでフレンドリー、適度な距離感で色々と気にかけてくれた。ほとんどのレビューでもエリザベートおばちゃんについて触れている。

まずは、最寄り駅に着いたところから。広大なワイン畑が広がる地域なので、アクセスは必ずしも良くはない。電車又はフェリーでReguaという場所で降りてからは車で10分程度の距離である。昼食を取った後、事前に伝えた送迎希望時間になると、駅前で彼女の自家用車で迎えに来てくれた。道中も今回の旅行がどうだったか等雑談が続く。

到着してからは、家の敷地を案内してくれた後、直前にワイナリー見学に私たちを押し込もうと近所のワイナリーに電話でかけあってくれたり、部屋も予約している屋根裏より自分(エリザベート)の部屋がベッドも広いので良ければ良いから確認してくれと言ってくれたり、ハイキングのおすすめコースを教えたり、食事を気にかけてくれたり、田舎のおばあちゃんを思い出す温かいコミュニケーションが心地よかった。

そして、どれも押し付けがましいものではなく、私たちがどうしたいかは最大限リスペクトしてくれる。

エリザベートおばちゃんは決して英語が流暢なわけではなく、かなり訛りも強かったが、それでも明るくパワフルにコミュニケーションをとってくれたので、終始楽しかった。

 

景色とこだわりの食材とゆったりとした時間

これはどんなファームステイでもある程度はあるのだろうと思うので、そこまで差別化要因にはならないのではないかと思うけれど、前提条件として必要と言う意味で紹介。

私たちが宿泊したのは、一家も住んでいる一軒家で、ワイン畑に囲まれていた。家の裏を上がった場所には、ワイン畑一帯を見下ろせるプールがある。

リビングのベランダから見る景色も絶景。 

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ここでひたすらゆっくりと時間が流れる。

4月でプールには寒かったので、プールサイドで日光を浴びながら本を読んでいたが、いったん家に戻りに降りてみると、エリザベートとそのお母さんは昼寝をしている。これもまた、日本の田舎の祖父母を思い出させる。

その後、ワイン畑の中をランニングの合間にDuoro川のほとりを歩いたのは最高に気持ちよかった。周りにはワイン畑ばかりで歩いて行ける範囲で何かがあるわけではなく、人もほとんど見かけない。そこでふと立ち止まって綺麗な空気を吸って、綺麗に反射する水面を眺めるのである。私にとっては最高の贅沢だった。

それから、夜と朝に食べたこだわりの食材。

夜は移動の疲れもあって、駅の方に出ることはせず、そのまま家でサラダとハムとチーズ、ワイン、ポートワインをいただいた。サラダは、農園で採れた野菜に、自家製のオリーブオイルとバルサミコをかける。さすがにハムとチーズはそこで作っているわけではないが、そして既に忘れてしまったのだけど、近くで作られたこだわりのもの。

ポートワインは、倉庫を今シーズンに向け清掃するために在庫を奥にしまって取れないかもとのことで、結局取ることはできなかったのだが、自家用の残り少ないポートワインを最後サービスで出してくれた。

二人分で色々飲み食いして20ユーロも行かなかったのだから、リーズナブルすぎる。

朝は、自家製ジャムにチーズ、近所のベーカリーのエッグタルト(ポルトの名産品)。一番おいしくて何度もお替りしたのが、農園で採れたオレンジのジュース。本当においしかった。

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終わりに

エリザベートおばちゃんの一家は、ワインの生産だけでは、生計が難しく、家計のプラスにするために、ファームステイを開始したとのこと。ゲストを家族のように迎え、唯一無二の贅沢な田舎時間を提供する。これが、Quinta do Fôjoの成功の秘訣ではないだろうか。

1泊8,000円で家の3部屋を宿泊用に開放しており、私たちが泊まっていた期間は、ドイツ人のカップルと、ドイツ人とアメリカ人夫婦の子連れ家族が滞在していて満室となっていた。ドイツ人カップルは私たちとたぶんあまり変わらないアラサー世代。ドライブで北ポルトガルから来たという。子連れ家族は、1週間滞在しそこを拠点にしながら色々なワイナリーを訪れたらしい。アットホームな空間は、ゲスト間の自然とコミュニケーションも生む。

大都市が均一化していく中、旅の思い出を鮮やかにするのは、人と人の温かい出会い、その土地独自のものだと、色々な場所を旅する中で思う。

Quinta do Fôjoは、その土地にも助けられながら、ユニークな旅の思い出を彩るエリザベートおばちゃんのパワーに支えられていた。