やまんばと

2018年6月からスイス・ジュネーブ在住。ヨーロッパの田舎、日本の地方をキーワードに発信。

ダークツーリズム

ダークツーリズムは最近出会った言葉だ。

人類の悲劇を巡る旅(井出明、2018『ダークツーリズム』)と定義されるという。具体的には、大量虐殺、戦争、人的・自然災害等が起こった場所を訪れることを含む。

友人と旅の話をしていて、何でわざわざそんなところに行ったの?という反応をされてきた場所がいわばこの『ダークツーリズム』の定義に当たる場所だった。観光業を考える切り口として面白いと思ったので、私が行ったチェルノブイリを一例として紹介したい。

ウクライナチェルノブイリ

チェルノブイリは、1986年、ソ連時代のウクライナで当時最大となった原発事故が起きた場所だ。チェルノブイリウクライナでは観光資源になっており、2016年のチェルノブイリへの観光客はなんと5万人を超えるという。私自身の訪問の理由は、福島原発を抱える日本人として、30年後の福島の姿を考えるヒントを得たかったからだ。

制限区域に入るには事前の許可が必要で、一人で行くのは難しいのでツアーに参加した。キエフを朝8時過ぎに出て夜7時に戻るという丸一日の行程で、事故から30年以上経ったチェルノブイリでの終わらぬ放射能との戦い、戻らない街の姿を見て、改めて原発の影響の大きさとその長さを痛感することができた旅となった。

首都キエフからマイクロバスに乗って向かうこと2時間。道中、地元の大学に通いながら働いているという若い女性のガイドの説明を一通り聞いた後、チェルノブイリ原発事故に関するドキュメンタリーを見た。そこで原発事故が冷戦下のソ連領であるチェルノブイリで起きたことで、ソ連原発の失敗を世界に知らしめたくない人々により事故の報告の不正確さ、遅滞が生まれたことや、初期対応で動員された消防士が放射線リスクを知らされず無防備な状態で対応にあたり被ばくをしたこと等を学ぶ。

放射能との終わりなき戦い

途中昼食を挟み、その消防士たちが出動したという消防署に短時間立ち寄った後、更に、10キロ圏内のチェックポイントを超えて、どんどん原発に近づいていく。

まず目に飛び込むのは巨大な金属製のドーム。この中に事故を起こした4号炉がすっぽり入っている。事故後、4号炉の放射能漏れを防いでいたコンクリートの建屋が老朽化したことを受けて作られたもので、ドーム近くでも線量計も安定していた。

このドームは、世界各地の専門家から成る国際チームが、放射線量が高くない離れた場所で組み立てを行ってから、スライドしてかぶせたというとても大がかりなもの。更にこの中には、解体作業を進めるための機械も取り付けてあり、高い放射線量にさらされることなく解体作業が進められるということになっているようだ。30年以上経った今も放射能との戦いは続いている。

原発の事故がもたらすもの

その後訪れたプリピャチ市もまた衝撃的だった。プリピャチは原発に従事する人達が住む町として作られた当時新しい街で、事故前には5万人弱が住んでいた。発生後2日と経たないうちに住民は一斉退去させられる。当初は一時的な退去と知らされて出た住民がその後戻れることはなかった。30年以上人が住めない場所になったプリピチャの荒廃した廃墟とそれを覆うようにして生い茂る生命力のコントラストは印象的だった。なお、ウクライナではこのような事故があった後も、15基の原発が稼働し、電力の原子力依存度は50%弱。原発依存は続いている。

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金属のドーム(左)とマンションの屋上から撮った町全体の写真(右)  
Netflixでのシリーズ”Dark Tourist”

このダークツーリズム、Netflixでもシリーズもののドキュメンタリーになっている。ニュージーランド出身のジャーナリストが死や災害で有名になっている世界中のダークツーリズムのホットスポットを訪れるという内容だ。エピソードは8つあり、そのうち2話目が日本を舞台にしたものである。

第二話では、まず日本人であればおなじみの地震の揺れを体験する起震車にジャーナリストが乗る場面から始まる。その後、40分の短いエピソードの間に、富士の樹海、福島原発後の被災地、ハウステンボスのへんなホテル、軍艦島とテンポよく場面が展開していく。

見ていて違和感を感じざるを得ない場面もあった。例えば、日本人にとっては記憶がまだ新しい福島の被災地で不在の家の前で写真を笑顔で写真を撮る外国人観光客の姿や自殺後の恐い物見たさで訪れる観光客等である。しかし、外から見た日本のダークツーリズムスポットというのは興味深かったので、関心があれば見てみてほしい。

観光資源への着眼点としての有効性

個人的に、ダークツーリズムという言葉は好きではない。『ダーク』という言葉が持つネガティブな意味合いが、必ずしも自分の旅行の目的と合致しないからだ。私は、チェルノブイリ以外にも、ダークツーリズムっぽいことをしている。ポーランドアウシュビッツ強制収容所イスラエルホロコースト記念館、ナイジェリア・ラゴス奴隷海岸等だ。

しかし、どれも別に人間の死や災害の現場を見たい恐い物見たさで訪れているわけではない。私にとっては、日本の小中学校で行う社会科見学の意味合いが強い。教科書で見聞きすることと自分で実際に足を運んでいわば疑似体験することは、理解度に決定的な差をもたらすと思う。どうしたら過去の出来事・経験を今・将来に生かせるのか考える重要なヒントになる。

したがって、ダークツーリズムという言葉と自分自身の経験の意味付けには乖離がある。だが同時に、観光資源を見つけるという視点に立った時、このダークツーリズムという考えは有効なこともあるだろう。

例えば、消滅自治体や過疎化で荒廃した農地―30年のうちに「日本の896の自治体が消滅する」という無機質な言葉をもっと自分事として考えられるかもしれない。福島は実際にNetflixのシリーズでも取り上げていたように、被災後の姿が観光スポットになり始めている。だが、負の記憶にまつわる場所だからこそ、その悲しみの記憶が新しいと難しい側面もあると思うし、訪れる人の良識を高められるような仕組み作りも重要だろう。