グルメな町、サン・セバスチャン
食べることが大好きな私にとって、スペインの北東部、フランス国境近くにあるこの街はまさに天国だった。とにかく、おいしいのである。楽しみ方は色々。ミシュラン3つ星レストランで、趣向をこらした料理たちにゆっくり舌鼓を打つも良し、バルをはしごしながら、各バルの名物料理を食べ歩くも良し。私は、また来ることはなかなかできないだろうと思い、このどっちにもトライした。
個人的にヒットした料理をまずは写真と共に紹介したい。
【バル編】
【ミシュラン編】
海の幸、山の幸の素材の味を存分に生かし、あっさり目に仕上げた料理が比較的多いのが、日本人の口に合うと思う理由である。私は、あっさりとされているヌーベル・キュイジーヌ(nouvelle cuisine)のフレンチですら、ファスティングして臨んでもフルコース後は苦しくて辛いのだが、今回はそれもなかった。また、バルに関して言えば、立ち飲みで色んなお店をはしごする感じが新橋や銀座にある立ち飲み居酒屋を彷彿させる。おしゃれできれいなお店、というよりは、人の活気に満ちた賑やかで少しカオスな雰囲気ある。
町全体がグルメ
このサン・セバスチャンがグルメの町として国際的に名高いのは、星付きレストランの数のみならず、バルの質の高さにもある。人口20万人に満たない街に、ミシュラン3つ星を含む星付きレストランが11件と、人口一人当たりの星付きレストランが最も多い都市の一つに数えられているが、この質の高さが町全体の食のレベルの引上げにもつながっているというのだから面白い。フランス郊外のミシュラン3つ星レストランに行く機会もあったが、そのレストランだけが浮いている感じで、町全体の活気につながっている印象は受けなかったので、これは当然に起こることではないのだと思う。
サン・セバスチャンがグルメの町としてなぜ成功したのか。『ルポ 地域再生』(志子田徹、2018)を参照しつつ、色々な条件がそろってできたものだということがよく分かったので、以下にまとめたい。
料理を豊かにする地理的・歴史的背景
新鮮な海の幸と山の幸が手に入るという地の利はもちろん、フランス国境から20kmに位置するサン・セバスチャンは、歴史的にフランス料理の影響を多いに受けてきた。古くは、ルイ14世とスペイン王女マリ・テレーズの結婚式の場として、18世紀以降はスペイン王室の避暑地として使われていた。サン・セバスチャンをグルメの町に押し上げるきっかけとなった、1970年代のバスク地方のシェフたちの料理研究 においても、当時フレンチの新潮流であったヌーベル・キュイジーヌのシェフたちの交流を得ていたと言う。
サン・セバスチャンの後は南下してマドリッドやバレンシア、バルセロナを訪れたのだが、元々は農民が農作業の合間に食べる食事として始まったパエリヤを含め、シンプルな料理が中心で、サン・セバスチャンがフランス料理の影響を受けて発展したスペインでも特異な場所だということがよく分かった。
バスク愛を育んだ独自性と弾圧の歴史
1939年から75年まで続いたフランコ政権の独裁体制は、地域の独自性を排する中央集権化の一環で、バスク文化への弾圧を強めていた。これに対する運動の一つが、バスク料理であったようである。海外のレストランで修業を積んでいた、サンセバスチャン出身のルイス・イリサールらを中心に、通常秘伝として隠しておくレシピを互いに教え合うことで、全体のレストランのレベルを高める取組が進められた。バスクを取り巻く社会的条件がこのような取組を可能にしたとも言える。
ちなみに、弾圧に対して、武力闘争を選んだ者もいた。ETA(バスク祖国と自由)と呼ばれる組織である。このETA自体は、フランコ政権亡き後も、テロ活動を続け次第に求心力を失っていったが、武装解除は2017年と最近のことである。
行政との連携によるブランディング
食が一大産業の欧州諸国を見ていると、ブランディングの重要性を学ばされる。ワインの格付け、食品の厳しい原産地等の規則等である。サン・セバスチャンの料理専門の4年制大学も、その取り組みと言えるだろう。バスクの三つ星シェフら七人が呼びかけ人となり、「バスク・クリナリー・センター」が2011年に設立され、モンドラゴン大学に編入された。この出資を自治体が行っている。ガストロノミーと栄養の高等教育、研究、イノベーションと促進を目指すとのことで、修士課程まで用意されているようであり、世界中から学生が集まっている。
終わりの備忘録
食を町おこしに、とよく言われるが、サン・セバスチャンの例を見ると、簡単にまねすることができない複合的な要因が重なってできたものだということがよく分かる。ただ、食材の豊かさや地域愛は日本の地方でも眠った宝となっている場所はあるだろうし、Washokuが世界的に定着してきている中で、東京や京都以外でも食が産業になる地域がもっと増える余地はあるのではないだろうか。